バフチン「フランソワ・ラブレーの作品と中世・ルネサンスの民衆文化」

笑いの歴史におけるラブレー より

ほとんどすべてのロマン主義者が共通に分かち持っていた母なる天才というイデーは、この時代にとって実り豊かなものであった。このイデーのおかげでロマン主義者は過去のなかに未来の萌芽を探索するようになり、過去によって受胎せしめられ、産みだされた未来という視点から過去を評価するようになった。みずからのはるか前方に光を投げかける灯台としての天才というロマン主義的なイデーもまた同様である。このイデーのおかげで、ロマン主義者は過去の作品-シェイクスピア、ダンテ、ラブレーの作品-のなかにすでに存在しているものを、既成のもの、あますところなく認識されたもの、その時代に帰属するもの、限定されたものとして見ることができるだけではない。何よりもまず未来の萌芽、端緒-来るべき時代に、母なる天才によって懐胎された子供たちのなかでようやく蕾をほころばせ、花開き、完全に明確なかたちを取るもの-を目の当たりにできるようになるのも、このイデーがあってのことである。このイデーのおかげで、過去の作品は新たな側面、新たな可能性を開示する。このイデーによってロマン主義者は実り多い発見-シェイクスピアセルバンテスラブレーの再発見-をすることができたのである。