100S見てきた。

中村一義率いる100Sの東京公演に行って来た。
100S結成後の曲をアンコールを入れて二時間ほどたっぷりやったのに・・・、聞き手というのはわがままなもので、タルミのない素晴らしいテンポで一気にかけぬけたのであっという間に感じてしまった。
私は、個人的に置かれていた状況の影響も大きいのだが、中村一義の最初の2作「金字塔」と「太陽」(+それらに先行していたシングル)から受けた衝撃というのが圧倒的だった。いささか病的で気持ち悪い言い方だが、「信仰」と言ってもいいかもしれない。
なので、3作目そして100S結成後の作品の意味の浸透度、楽曲の強度がどんどんと増していく状況というのはちょっとばかり複雑ではあった。
うまく言葉に出来ないのだが、一言でいえば、私が天邪鬼というかひねくれ者というのが一番近い気もする。
だからこそはやく見てみたかった。やっとこさ今回チケット取れたよ。
んで、どうだったかというと、その演奏やバンドの雰囲気などを見て、自分の中にあった小さなひっかかりのようなものは見事にぶっとんだ。本当に心から、今のこのスタイルはスタイルでとても素晴らしいものだと思う。
と同時に自分もあのどうしようもない自閉的な状況にいた時と比べて大きく変ってんだよなという当たり前のことに気がついた。少しずつではあるがタフになってんぞと。
私の大好きなアーチストにポール・ウェラーという人がいる。70年代後半、イギリスのパンクムーブメントのなか、JAMというバンドを率いて国民的な人気を得る。その後80年代に入り、JAMを解散、Style Coucilというバンドでパンクから一転、ソウルミュージックに大きくよったポップミュージックをならし始める。90年代にはソロになり、英国伝統芸ともいえるブルースを基本に置いたロックをやり続けている。
私がリアルタイムで聞いたのは高校生のころ、彼がソロになってからなのだが、それらのソロ作品や過去の作品を聞いていると、この人とともに歳を取っていけたファンというのはうらやましいなと思わないではいられなかった。歳を取ると共に、その時々にふさわしいスタイルで変化を続けるその姿を素晴らしいと思った。
ただ今になって気付くのだが、その変化を肯定的に受け止めるには聞き手の側にも変化が必要だっただろうと。
どっちが良いとか悪いとかの問題ではないのだろう。ただ今は止まっているよりは、変っていくほうが・・・という気分である。まあ、生きているわけだからね。
私の人生を変えたとまで言い切ってしまっても良いほど思い入れのある「犬と猫」は聞けなかった。でも何故か残念という気が全くしない。逆にそれでいいんだという奇妙な満足感のようなものまである。不思議なもんだ。
なんつうか幸せな気分です。