何年ぶりだろうか、トウェインの「ハック・フィン」を読み返してる。同じ米文学のカノンでも「モビー・ディック」や「緋文字」と比べると力抜いて読めるのがいい。
最初にこの作品読んだときは「トム・ソーヤー」読んだすぐ後だったため、両者の間の密度の差に驚いた。実際は両者の出版は8年くらい離れているから不思議ではないのだが。
トムは「本に書いてある通りにやらなくちゃ」と言いつつもやることは基本的に「ゴッコ」の域を出ない(だからこそ読者のノスタルジーを喚起させるのだろうけど)。ただそのことをわきまえているためか、例えばナイフで地道に穴を掘るのに飽きてくると「こういう場合にはつるはしを使って、それがナイフだと思い込んでもいいんだ」とくる(こういうところからも世渡りのうまさが解るっちゃあ解る)。自分のやっていることと現実との区別は意外とはっきりついている(とはいえハックから見れば意味不明ではあるのだが)。この区別を見失うとドン・キホーテになるわけだ。