フランケンシュタイン復活

フランケンシュタイン復活」Son of Frankenstein(1939)
フランケンシュタイン」、「フランケンシュタインの花嫁」という傑作に続く第三弾。ボリス・カーロフフランケンシュタインはこれが最後。
前々作、前作から数十年後、フランケンシュタイン男爵の息子、ウォルフが故郷に戻ってくるところからはじまる(原題にある「Son」は一応彼を指すと考えていいのだろう。もちろんモンスターもある意味では息子ではあるのだが。モンスターの息子はでてきません、年の為。)。時代設定とか前作はメアリ・シェリーの独白からはじまったのに・・・とかいう細かい点は多分無視するのが正しい楽しみ方なのだろう。
故郷に帰ってはきたものの、彼の父親がモンスター作って村に大きな災厄をもたらしたことを村人は覚えている。しかも息子まで父親と同じ科学者であるというのだから歓迎されるはずもない。
ウォルフは自分の父親の、自らの手で生命を創造するという科学者としての偉大さを信じていた。父が創造したものが怪物と化したのは、助手が罪人の脳を用いたからで、父には責任がないと。
犯罪者の子孫ってこんな心境なのかしら。
廃墟と化したかつての実験室でウォルフはイゴールと名乗る謎の男と出会う(ドラキュラと並ぶルゴシの代表的キャラクター)。イゴールにいざなわれ、ウォルフは廃墟の隠し部屋へとたどり着く。そこにあったのは昏睡状態になりながらも確かに生きているモンスターの姿だった。
私はここでてっきりモンスターは前作のラストからずっと昏睡状態なのかと思っていたのですよ。
いやー、違ったね。
天気の悪い日に外歩いてて落雷にあったんだと。つまり前作のラスト以降、モンスターはこっそり生きていて、ちょっと前まで健在だったと。
イゴールという男は死体を盗んだ罪で縛り首にあったという罪人だった。しかし奇跡的に蘇生し、村人たちに忌み嫌われながらも生きて来たのだという(縊られた時の影響で片輪)。彼はどのような方法でかフランケンモンスターと友情を結び、モンスターを使って彼に死刑判決を下した陪審すべてに復讐しようとしていた。モンスターが雷にうたれたのも、イゴールの復讐を実行しようとしていた時だと推察される。
イゴールは(復讐を再開したいという意図は隠しつつ)ウォルフにモンスターを蘇生させるよう依頼する。ウォルフはイゴールに対しては不審を感じつつも、父の残したものを継承し、父の汚名を返上すべくモンスターを復活させようとする。
んで、復活は成功するのだが、モンスターの更正なんてできようはずも無い。だってイゴール以外コミュニケーションとれないんだもん。それなので、ウォルフはイゴールを介してモンスターを操ろうとするのだけれど、まあ甘いわな。何といっても、役者と怨念の強さが違う。イゴールは何はばかることなく復讐を再開する。
村では(モンスターによる)謎の殺人で大騒ぎが起こる。目撃者こそいないが(むしろいないからこそ?)、フランケンシュタイン博士の息子が来た途端に奇怪な殺人事件が勃発したとなればもう、パニックとなった村人たちの矛先の向かう方向は決まったようなもの。
一応警官が暴徒を抑え、警部直々に警護してくれるのだが、警部もウォルフが何かを知っていると考え問い詰める。
とはいえ、「モンスターを私が復活させちゃってさあ。いや、悪気はなかったんだよ」などと言えるわけも無い。
考えた末に、「イゴールが犯人だ」と言ってみる。
言い逃れとしてはいい線いっている。
なんたってほとんど事実だから。
実行犯ではないが、裏で操っているわけで。
ただこの「実行犯ではない」というところがポイント。警察としてもいかにもあやしい、そしてなんといってもイゴールに死刑を宣告した関係者ばかりが殺されるという状況で彼を疑わないはずがない。四六時中監視をつけていたのである。
はい、ここでイゴールのアリバイが警察の手によって証明されてしまう。
その後、ウォルフは警部の目を盗み、イゴールを探す。イゴールイゴールで状況を察し、ウォルフを殺害してしまおうと待ち構える。二人の争いのすえ、イゴールは射殺されてしまう。
一方、警部はウォルフの子供の証言などをもとに、モンスターの存在を確信するにいたる。
ところでそのモンスターはというと、イゴールの死体を発見していたりする。
慟哭。
モンスターの「異形ゆえの悲しさ」がほとんど見られくなってしまったこの作品で、唯一といってもいいくらいの例外的な場面。自分を利用しているだけの人物であろうとも、このモンスターにとっては唯一の友人だったわけだ。
怒りに駆られるモンスターはとりあえずウォルフの息子を連れ去る。これが復讐故なのか、自分を見ても逃げない、どころか普通に話し掛けてくれるこの子供にひかれたからなのかは定かではない。ただどこか一作目の少女との美しいシーンに通ずるものはある。
家政婦と妻に息子が連れ去られたことを聞いたウォルフは警部とともにモンスターを追う。ここでのモンスターと警部の戦いは見もの。とはいえ銃は効かないし、科学者であるウォルフや、義手の警部が腕力でモンスターを捻じ伏せることは不可能。しかも相手には人質がいる。そこでウォルフは不意をついてモンスターに体当たりをかまし、煮えたぎる硫黄の沼に落としてしまう。
手におえない怪物は自然現象で倒してしまう。これも一つのセオリーだ。
ラスト、ウォルフは城や土地を村に寄付することを宣言し、都会へと帰っていく。村人たち大喜び。まあ、寄付してもらったのがうれしいのか、モンスターがほろびたのがうれしいのか、この厄介な一族が出て行ったのがうれしいのかは定かではないが。
作品としては、普通。セットや、モンスターと警部の因縁の対峙、イゴールを演じるルゴシとモンスターを演じるカーロフの共演(観客にとってはドラキュラとフランケンの共演といっても過言ではなかったのではないか)など見所はしっかりとある。
 ただ、一作目、二作目と違い、モンスターの孤独とか悲しさがかなり薄くなっているため、ドラマとしてどうなのよと。普通のモンスター映画じゃんと。まあ、前二作や、「ドラキュラの娘」などで取り上げたテーマ(ある意味では人狼ものも)なのでマンネリをさけたのかもしないが。