アメリカ紀行(その2)

私は乗り物酔いといえば、車と電車くらいのもので船は体験したことがない。なので前2者の延長として推測するしかないのだが、小説や随筆に出てくる船酔いの体験談というのはたいてい非常につらそうに書かれている。その中でも、なんか良く解らんがとにかく尋常じゃないことは非常に良く解るという点でディケンズの「アメリカ紀行」の下記の描写は白眉であった。どうやらディケンズは船酔いの度が激し過ぎて気分が悪いを通り越して極度の無気力状態になってしまったらしい。どのくらい無気力無感動かというと、

故国のことをあれこれ考えている最中に私を襲ったかもしれない一瞬の知性の輝きの中で、深紅のコートに身を包んだ、鈴をつけた小悪魔の姿をした郵便配達人が、あの小さな犬小屋部屋に入って来て、昼のさなか目をぱっちり覚ましている私の目の前に現われ、海を歩いて来たものだから濡れているのを勘弁してくれるように言いながら、見慣れた文字で書かれた私宛の一通の手紙を私に手渡したとしても、確かに私は砂粒ひとつほども驚きはしなかっただろう。そのことに対して私は百パーセントご満悦だっただろう。たとえ海神ネプチューン自身が、彼の三叉の矛の先に、焼かれた鮫を刺して船室に入って来たとしても、それをごくごくありふれた日常の出来事の一つと見なしただろう。

ちなみに「犬小屋部屋」とはディケンズの船室。上等の部屋をとってもらったらしいのだが、結局それは「その船の中では」一番上等ということだったらしく、実体はその形容から推して知るべし。