収容所群島

文章が結構面白いんですわ。内容は悲惨だけど。

十七世紀の皇帝アレクサンドル・ミハイロヴィチ時代に普通に行われたことも、ピョートル大帝時代にはすでに野蛮な行為と見なされ、十八世紀中葉のビロン摂政時代にはもはや十人ないし二十人にしか適用できなくなり、エカテリーナ女帝時代には完全に不可能になったことが、飛行機が飛び、トーキー映画やラジオがあらわれた偉大なる二十世紀の最盛期に、社会主義的原則に基づいて成立した社会において行われたのである

(1巻P148)
文章を全く変えなくてもソ連以外にも十分通用するね、今でも、しかも近隣で。
次は飢餓を利用した拷問について。これも同様。

これは大昔からの、封建的な、いや、洞窟的ですらある方法である!ただ社会主義社会において用いられたということだけが目新しいのである。

(1巻P174)
突然、前触れもなく逮捕される可能性のある世界で生きていくための教訓

今になってようやく、あなたは遅まきながら、人生というものは、別れる時に私たちは今日なんの話をしたかと万一のため打合せをして、しっかり頭にたたきこんでおかなければならないということを悟るわけである。そうしておけば、いかなる尋問でもあなた方の供述は一致する。だが、あなた方は打合せておかなかったのではないか。この人生がどんなジャングルかをやはり想像できていなかったわけである。

(1巻P180)

最高裁長官I・T・ゴリャーコフはよく次のように称賛されている。彼は庭いじりが好きだった。読書が好きで、古本屋へよく出かけて行った。トルストイ、コロレンコ、チェーホフを愛読していた。いったい、これらの作家から何を学んだというのか。学んだというのならなぜ何千という人の生命を奪ったのか。

(1巻P253)
この文章が妙に心に残った。