珍しい偶然

金曜日私にしては珍しく本屋以外の用事で神保町に行く。まあ用事が終わった後古本屋にいきましたけどね。
翌日帰省するのに行き帰りで読む本を探そうと。ちょうど唯一持っていない半七捕物帖の3巻と同じく持ってない、なめくじ長屋捕物さわぎの「おもしろ砂絵」を見つけたので購入。今月の帰省の御供は捕物帖ということにする。
おもしろ砂絵の「大目小目」は他殺と思われる水死体があがるがその死体はなぜか女装をしていたという話。守り袋を所持していたため身元はすぐ割れたのだが、犯人はだれか、なぜ殺されたのか、女装の意味は等々謎は残りまくっている。それらのなぞを砂絵のセンセーと長屋の面々が解いていくのだが、冒頭事件を担当している岡っ引きがセンセーに事の次第を説明するところ。

「船頭には、女の身投げは助けるが、男の身投げは助けねえという、しきたりがあるそうでね。女は料簡のせめえものだから、死ぬほどのことがなくても、思いつめかねねえ。だが、男は真実どうにもならなくなって、身を投げる。だから、女は助けるが、男は死なせてやる、ということらしい。」
と、下駄新道の常五郎は、きせるをはたいて、
「それがならいになって、土佐衛門でも、女はひきあげて届け出るが、男だったら、流してしまう。そういうことに、なっているんだそうですが、舟にあげてしまったんだから、しかたがねえ」

半七捕物帖3巻に「海坊主」という話がある。品川沖に現れた不思議な男を中心とした話だが、半七老人が聞き手の「私」に次のような説明をする。

「むかしの船頭仲間には一種の習慣がありましてね」と、半七老人はここでわたしに説明してくれた。「身投げのあった場合に、それが女ならば引き上げて助けるが、男ならば助けない。なぜと云うと、女は気の狭いものだから詰まらないことにも命を捨てようとする。死ぬほどのことでもないのに死のうとするのだから助けてやるが、男の方はそうでない。男が死のうと覚悟するからには、死ぬだけの理窟があるに相違ない。どうしても生きていられないような事情があるに相違ない。いっそ見殺しにしてやる方が当人の為だ、と、まあこういうわけで、男の身投げは先ず助けないことになっている。それが自然の習慣になって、ほかの水死人を見つけた時にも、女は引き上げて介抱してやるが、男は大抵突き流してしまうのが多い。男こそいい面の皮だが、どうも仕方がありませんよ」

どちらも同じ逸話である。偶然手に取った2冊の本に同じ逸話が入っているというのは珍しい(ちなみに作品それ自体は全く似てません)ので記録。
とはいうものの「半七」と「なめくじ長屋」に同じような挿話があること自体は不思議ではない。この話が結構有名な話である可能性があることに加え、「なめくじ長屋」の作者都筑道夫は自作を語るエッセイでたびたび「なめくじ長屋」シリーズの目標として「半七」と十蘭の「顎十郎捕物帳」をあげているからである。そういうことを考えると一種のオマージュなのかもしれない。