「巨人ゴーレム」(1920)

HRS-21012007-09-23

パウル・ヴェゲナーの1920年の作品。今から90年近く前の作品である。同時期の映画作品にどんなものがあるかというと同じドイツだとムルラウの「ノスフェラトゥ」が1922年、アメリカだとチャニー主演の「オペラ座の怪人」が1925年、バスター・キートンが活躍したのもこのころである。当然モノクロ+サイレント。
あらすじはというとパッケージ裏にはこうある。

ユダヤのラビ(司祭)レーフは占星術で同胞たちの危機を察知し、粘土で作った巨人ゴーレムに生命を吹き込む。ゴーレムはレーフ司祭の指示でユダヤの民を救うが、やがてコントロールが効かなくなり、街へ暴れ出して全てを破壊し始める。

概ねその通りなのだが私は上記の要約を最初にみて、ゴーレムが敵をなぎ倒してユダヤ人を救い、なんらかの原因で暴走するといったストーリーなのかなと勝手に想像していた。セオリーから言っても的外れな発想ではないと思う。ところがこれが全く違った。
皇帝からユダヤ人たちに「お前ら出てけや」と通達が来る。ラビは連絡係の騎士を通じていままでの功績に免じて勘弁してくれという旨の手紙を出す。すると皇帝から「祭りでなんか面白い魔法見せてくれたら許す」という馬鹿殿的返答がくる。
ラビは助手と共に魔術書を見てゴーレムを作ることにする。
手順としては
①土で巨大な人形を作る
②悪魔アスタロテを呼び出しゴーレムの真名を聞きだす。
③その名前の書いた紙をゴーレムに埋め込む。
というかんじ。埋め込んだ紙が起動装置兼制御装置となる。
②での悪魔召還場面は90年前の特撮ということで結構興味深い。
ラビは出来上がったゴーレムを連れて皇帝に謁見する。ゴーレム注目の的。ゴーレム見せて終わりかと思っていたらラビは魔術でユダヤ人の歴史を映画のように映し出す。ゴーレムつれてきた意味は?皆さん映画をたのしんでいる。途中理由は分らないが映画が爆発。宮殿が崩れだす。皆さんパニック。皇帝は「助けてくれたらユダヤ人追い出すのやめる」と約束。ラビゴーレムに命じて崩れる宮殿を支えさせ、その場の人間たちを脱出させる。この部分が上記あらすじの「ユダヤの民を救う」にあたる部分。この部分いまいち分らないのは爆発がラビの意図するものなのか偶然なのかというところ。わざわざゴーレムつれてきているあたり全て計算尽くということもありえるが特に描写はなし。表現方法の問題なのか、文化背景に対する知識の問題なのか(もとになったゴーレム伝説を知っていれば説明不要な箇所だという可能性がある。デビットソンの短編「ゴーレム」でもこのあたりの話の言及が少しある)・・・。
何はともあれ無事に皇帝のお墨付きをえたのでラビ帰宅。ユダヤ人街はおまつり騒ぎ。一段落したラビはゴーレムを停止状態にしようとするが今まで唯々諾々と命令を聞いてきたゴーレムが反抗。なんとか不意をついて停止させる。
こりゃおかしいとおもったラビ、魔術書を詳しく見てみると・・・上記手順に
④一定期間たつとゴーレムの所有権は悪魔アスタロテに移り、今までの対価として暴れるよ
があった。説明書はちゃんと読まなければいけないというのは何も電化製品に限ったことではないのだな。
びっくりしたラビはゴーレムを破壊しようとする。すると街の人間が彼を呼びに来た。みんなが救い主である彼の顔を見たがっていると。ラビ有無を言わさず連れて行かれる。
場面は変わって、ラビの助手。この吉報をぜひ愛するラビの娘に知らせようと駆けつける。娘何かと理由をつけて出てこない。扉の向こうをうかがってみるとどうやら男をひっぱりこんでいるらしい。助手キレル。停止中のゴーレムを起動させ間男を退治させる。ところが間男を退治しただけじゃゴーレムは止まらず街中を破壊しまくる。
この暴走したゴーレムをいかにして止めるのかというのがクライマックス。定番といえば定番なのだが良いシーンです。のちのユニバーサルの「フランケンシュタイン」への影響というのはよくわかる。しかしこの名シーンを思いっきり歪ませて悲劇性をたかめた後者は見事ではあるが、微妙に病んでいる。
ちなみに「ゴーレム」では名シーンの後蛇足としか言いようの無いラビの娘と弟子の間のやり取りで幕を閉じる。ある意味では必見。
全体的に間延びしたというか、ある意味まったりと話は続いていく。トータルは約100分。となりで見ていた同居人は途中で「ゴーレムが暴れたら起こして」といって寝てしまった。私のように以前写真でゴーレム見て、「かっけえ」とか思うようなタイプの人以外にはきついかもしれない。