再読

主に学生時代に読んだ本を数冊再読してみた。
バーセルミ「雪白姫」
今も昔も読み終わった後に特に何の感想もわかない。私はポストモダン小説には向いてないのだろう。(でも「カリガリ」は嫌いじゃない)。
・ベロー「ハーツォグ」
アメリカのノーベル賞作家、ソール・ベローの代表作。数年前に亡くなっている。戦後、今年村上春樹共々ノーベル賞の候補として名前が挙がっていたフィリップ・ロスなどとともにユダヤ系作家の新世代として人気のあった人で(他にはマラマッドなども同時に名前があがるが私は未読)、両名とも日本でも代表作はたいてい出版、文庫化していたので古本屋を探せば見つけるのは難しくない。ちなみに私の持っているのはすべて古本屋で見つけたものばかり。
中国出張中にずっと読んでいた。主人公のモーゼズ・ハーツォグは名前のとおりユダヤ系。学者で名声も高いのだが、二度目の妻とのスキャンダラスな破局劇+子供を元妻に取られたことで精神的に危うくなっている。ひたすら手紙を書いているのである。相手はもう死んでいる過去の有名人(哲学者など)から街角で偶然みつけた古い友人など手当たり次第。ただ内容は相手に合わせている(政治家には政治の話、同業者には学問の話など)し、推敲もし、ふさわしくないと思えば書き直したり、破棄したりする。変なところでは正気なのである。だからこそ怖いという考え方もあろうが。
そんな生活の中、彼は過去を回想する。この小説の大部分がこの回想に当たる。そこではある意味でこういう作品ではおなじみの民族性とかコミュニティの問題表れるのだが、ハーツォグ自身はアメリカで生まれ育った現代人であるためか、思い出とはからまって出ては来るが、アイデンティティに大きくかかわってくるというほどではない。そのさじ加減が絶妙。読んでいて苦痛をかんじることはない。まあ、そういったものだけでは救済されないからこそ今の苦痛があるわけだが。
再読してみて自分の記憶違いを一つ発見。ハーツォグは基本、思索の人で行動の人ではないのだが、後半彼はある行動をおこそうとする。それがラストに向けて物語を加速させるのだが、この場面はラスト間近だと記憶していたのだが、そうでもなかった。
後は前回読んでいた当時を思い出させた記述がひとつ。ハーツォグは軍隊にいたころ、その名前や容貌がアメリカ人らしくないということでからかいの的になっていた。その中の一つに次のようなものがある。

「あんたはえらく上手に英語をしゃべりなさるが、どこで覚えたんだね?―ベルリッツ語学校でかね?」

当時の私は「ベルリッツ」というとデーモン小暮閣下がCMをやっていた駅前語学校の一つという印象だったので驚いたのを覚えている。本国では19世紀から続く有名な所なんだよな。
スタイル的にもストーリー的にも奇抜な所はなく、あまりに淡々と進むのだが、妙に心に残る。たぶんまた数年後に読み返しているのだろう。
ムアコック「コルム」シリーズ
ハヤカワでかつて3冊で出ていたものを1冊にして出したのでこりゃ便利と買い直してみた。買い直して気づいたのだが、でっかい1冊と小さい3冊ではどっちが便利か一概には言えないな。
ムアコックの「永遠の戦士」シリーズの復刊のラストを飾る格好だが(新刊としてはフォン・ベックものがひかえている)、私はこのシリーズが一番覚えていない。なんか印象うすいんだよな。ストーリー上重要な役目を果たす「手」と「目」のことも忘れていた。まあ不思議とストーリーは忘れていてもゲイナー、コーネルといった重要人物はしっかり覚えているのだが。