「久生十蘭従軍日記」

前半はどことなく面倒というか、居心地の悪さを感じているようなところが見え、淡々としているが、後半空襲にあうあたりでは非常な緊迫感が感じられる。

いつの間にか眠り、眼をさますと八時である、渋々起きる。食慾がまるっきりない。例の通り日課キニーネを一錠飲む。明日死ぬかも知れぬのになんのキニーネだと可笑しくなる。

(P240)
内地の話を歓迎する従兵。横溝正史が慰問袋に捕物帳が好まれたと言っていたが、根は同じなのだろう。
気になったところが一つ。P192に

おふくろ、岸田、大佛、海野、ボンスその他、全部やり直し、封筒もみな片附ける。

とある。岸田は岸田國士(岸田今日子の父親)、大佛は大佛次郎だろう。両名とも別のところで十蘭との交流について注釈がついている。「大佛」なんてそうそうある名前でもないだろうし。海野というと海野十三が一番に思いつく。だがここでは特に注釈がない。
一方で後半のP319では

おふくろ、ボンズ、土屋氏、海野氏なり。おふくろ、ボンズ宛はいわば遺書の如きもの、土屋氏、海野氏宛は帰還命令の依頼なり

とありこちらには海野氏が海野十三であると注がある(ちなみに↑のボンズ、ボンスは両方とも原文ママ)。こっち側に注があるのは最初の引用では特定できる要素がなく、断言できないからだろうか?