田中貢太郎「日本怪談辞典」

明治〜昭和にかけて活躍した著者のアンソロジー。表題作(?)は著者が収集した数百にものぼる怪談をテーマの50音順に配し辞典化したもの。編者の東氏のアイデア勝ちといった感じ。本書はそれと短編集の「黒雨集」の2部構成となっている。
収められた怪談は今でも古典として有名な牡丹灯籠、四谷怪談、番町皿屋敷や、ハーンの狢(英語の教科書に載ってませんでした?"Long long time ago〜"って)など定番はもちろん収録されているが、著者は怪談集を大正〜昭和にかけて出していた人なので、タクシー、列車、踏切、電話などにまつわる怪談も収められている。
個人的にツボだったのは「魔の電柱」。正直笑ってしまいました。短い+著作権保護期間切れなので全文引用してみる

 昭和十年九月二十八日の夜の八時比、駒込神明町行の市電が、下谷池の端の弁天前を進行中、女の乗客の一人が、何かに驚いたように不意に悲鳴をあげて、逃げ出そうとでもするようにして上半身を窓の外に出したところで、そこにあったセンターポールで顔を打って昏倒した。
 その女客は浅草区西鳥越町の市川喜太郎と云う人の細君で、墓参に往っての帰途であった。市電の方では驚いて近くの河野病院へ担ぎこんで手当を加え、悲鳴をあげて逃げ出そうとした事に就いて聞いてみると、席の隣に全身血みどろになった幽霊がいたので、夢中になって逃げようとしたところであったと云ったが、その電柱は従来、毎月五六名も頭を打っつけて負傷をするので魔の電柱と云われているものであった。

この話に続いてでてくる「長崎の電話」という話も興味深かった。
怪談にはセオリーというかパターンがあり、この話は一種の虫の知らせもので、知人から不思議な方法で連絡があり(夢なども含む)、調べてみるとその連絡があった時に知人が死亡していたというパターンである。地域、時代を問わず存在するタイプの話である。
この話ではその連絡手段が電話なのである。京都で商売をしている兄に弟が「長崎の旅館で病気になり泊っている。会いたい」という旨の電話があったのである。
話のパターンは時代を問わないが、細部にその時代を強く思わせる部分があり、この話で私が面白いと思ったのはその部分である。下に引用する。

支那へ往ってた弟が、病気で長崎まで帰って、すぐ来てくれって電話がかかった来たから、これから往って来る、後をよく気を注けてくれ」
と云った。すると番頭が変な顔をして主人の顔を見返した。
「長崎へ電話が通じておりますか」

まだ長距離電話の無い時代で、長崎〜京都間は電話が通じていない。電話がかかってきたという事実自体が怪異なのである。今だと電波が届いていないはずなのに電話がかかってくるようなものだろうか?
江戸以前を題材にしたものにも面白いものは多かったが(「竈の中の顔」とか)、明治〜戦前昭和間の話が妙に新鮮というか、この時期にこんな話が・・・的な面白さがあった。