戸板康二「中村雅楽全集5」

雅楽全集」の最終巻「松風の記憶」読了。
1〜4までが短編全集で、この5巻は雅楽ものの長編2作とエッセイを収録。
長編については、この作者は短編、エッセイの人という認識だったので(発表した長編小説はこの巻の収録作を合わせて計3作)あまり期待はしていなかったのだが、なかなかどうしていい意味でびっくりでした。
・「松風の記憶」
長編一作目。新聞連載だったらしい。広島のある寺の境内で急死した歌舞伎俳優浅尾当次。話は同日にその寺を修学旅行で訪れていた少女をメインに進む。話の進みはゆっくりで、展開が大きく動くのは彼女が高校を卒業して上京してからなのだが、学校生活から上京するまでの過程も丁寧に描く。合間、合間に一見話に関係なさそうな人物、話題などが入り込んでくるのだが、それらがしっかりと伏線になっている。しっかりとした人物描写とそれに伴う抒情性。これは確かに長編ならでは。良作だと思います。
・「第三の演出者」
ある小劇団の指導者が病死。彼の追悼の意をこめて残された団員たちは葬儀の時に発見された故人の遺稿を上演しようと考える。そのけいこ中に事故が起き、団員の一人が死亡。その経緯や関係者たちから聞きこんだ話を竹野記者がまとめ、それを元に雅楽が推理する。「松風」と比べるとオーソドックスな安楽椅子探偵もの。手記が中心なこともあってか、抒情的な前作とは違いいささか暗め。
しかし若い団員から竹野記者まで呪いや憑きものがどうこうという話をするなか、一番の高齢者である雅楽が一番合理的というのはユーモラス。まあいつもの短編でもそうなのだが、長編だとそのへんの面白さが増す感じがする。その意味では新鮮だった。

・エッセイ
中村雅楽推理小説に関する戸板康二のエッセイをまとめたもの。そのため同じような話が数回繰り返される。まあ、著者からすると一つの本にまとめるつもりで書いていたわけではないので仕方のないことだが。
一番よくでてくる話はミステリを書くきっかけとなった乱歩のこと、そして自身の学問の師である折口信夫(ミステリ愛好家でもある)の話もそれなりにある。作家になる前の戸板の話も出てきて興味深い。
とある会で乱歩に推理小説を書く気はないかと聞かれ、書いて見てもいいというような返事をしたら後日「約束お忘れなきよう」というはがきをもらい感動し、雅楽ものを書きあげた、というのが作家戸板康二誕生にまつわる話だが、これに関してはもう一方の当事者である乱歩の証言も「探偵小説40年」にある。

 戸板康二さんが同好者であることは、よくわかっていたので、この人にも会う機会があれば一つ創作を頼もうと心がけていた
 (中略)
 同氏のテーブルへ行って、お酒を飲んで話しているうちに、どうです、一つ探偵小説を書いて見ませんか、筋をお持ちになっているのではありませんか、と切り出してみたところ、筋がないでもないという返事であった。しめたと思って、ではたのみますよと、約束して別れたのだが、あれは酒の上の冗談だと逃げられては困るので、その翌日、昨晩のお約束は決して冗談ではありません、本当にあてにして待っています、という速達を出したのである。

また、別のところでは

 戸板康二さんが直木賞を受賞し「私に推理小説を書かせたのは江戸川乱歩だ」という意味のことを新聞雑誌の随筆や談話にくり返されたので

とも言っている。
どのくらい「くり返」していたのかは読んでみてのお楽しみ。