「アメリカのデモクラシー」第二巻(上)

2か月程度のインターバルで下巻もでるが、とりあえず上巻読了。
この巻は主に文化的な側面からの考察、観察がメインとなっている。
民主制下にあっては神話や英雄のような特別な存在ではなく、ありのままの人間こそが詩の題材となるという予想はホイットマンやいささか独特ではあるがディッキンソンによって現実となった。
だが個人的には次の指摘こそ興味深い。

 それにすでに見たように、民主的諸国民にあっては、詩の源泉は素晴らしいが豊かではない。いずれ泉を汲みつくしてしまう。実在するもの、真実なるものに理想の素材を見出せず、詩人はそこから完全に出て、怪物をつくりだすことになる。
 私は民主的な国民の詩が臆病になるとか、地にへばりつきすぎるという心配はしない。むしろ、それは絶えず雲の中に姿を隠し、ついには完全に空想の国を描くことになるだろうと思う。民主的詩人の作品はしばしば広獏として支離滅裂なイメージを提供し、ごてごてに飾られた絵、奇妙奇天烈な構成を示すのではないか、そして彼らの精神から出た幻想の存在は時として読者に現実世界を呪詛させるのではないか、私としてはこうしたことを恐れる。

書き手を伏せられて、ハート・クレインを評したものだと言われたら私は納得してしまうだろう。