百鬼園日記帖

大正七年八月。知人の死後数十日たって、思い立って弔問に行った帰りに

門を出て小路を歩いていたら涙が両方の頬を伝って落ちた。私は何をしに行ったのだろうと思った。そうして非常にすまない事をしたという自責が強く起って来た。私はただ自分の心に隠して置いてすむ事を、何の必要もないのに、勝手に自分に一種の情を満足させようとして気の毒な細君の悲しみをそそったではないか。私は始めから道徳をしに行ったのではなかった。礼儀を尽くしに行ったのでは猶更なかった。ただ私の故人を思う真心の為に行ったと私は思っている。私はその心持を私に向かって弁解する必要も証明する必要もない。けれどもその真心を外に表すのは、ただ私の我儘と勝手である事に気がつかなかった。私は自分の「道徳」を利己主義で行った徳義上の野蛮人であった。私の花の上に故人を忍ぶような悲しい声をそそいで礼を云った細君に私は何と云って謝していいだろう、此間の二十一日が三十五日だったと云った細君の心に、夫を失って、三人の幼い子供も悲しい母となった時のいたましい傷は少しは癒えかけていたに違いない。そこへ突然何の必要もなく飛び込んでその傷口を掻きむしった者は私である。そうして私は決して「悪い事」をしたのでない以上、彼女は私をうらむ事も出来なかったろうと思うと私は二重に自分のした事の罪を感じる。ほんとうに私は門を入る時、玄関で待っている間、襖の蔭からその人が出て来る迄私はこの事にちっとも気がつかなかった。その後後迄も私はすまなかったと思い通した。その子供が何番目の子か、何という名かなどは勿論一ことも聞かなかった。