オニール「喪服の似合うエレクトラ」

オニールの代表作。これはかなり面白い。ノーベル賞作家の面目躍如。
原題は「Mourning Becomes Electra」。「物+become+人」の用法は受験勉強でやったなあとこのタイトル見ると思いだす。
タイトルの「エレクトラ」は人名だがこの作品にはエレクトラという登場人物はいない。ギリシャ神話の登場人物の名前である。
20世紀初期、小説においてはジョイスが、詩においてはエリオットが現代社会と神話世界を二重写しにし、重層的な世界を作り出して見せたが、それに近いことをこの作品は戯曲でやろうとしている。余談だが、南北戦争終盤が舞台のため、「エレクトラ」の場合は現代社会といっても発表年代から半世紀ほど前ということになる。
下敷きとなるのはアイスキュロスによるオレステイア三部作(「アガメムノン」、「コエーポロイ」、「エウメニデス」)。「エレクトラ」もそれらに対応するように三部構成になっている(「Homecoming」、「The Hunted」、「The Haunted」)。
舞台をニューイングランド、トロイ戦争を南北戦争に置き換えたくらいで第二部まではほとんどオレステイア通りに進む。戦争からの父の帰還、母とその愛人による父殺し、息子による父の仇打ち(=母殺し)と云った風に。正直この段階まではこんなに同じだと神話を背景にした意味あんのかと思うくらいである。
元ネタとの違いといえば、オレステイアではほんの少しだけしか出てこなかったエレクトラが、オニールの方では出ずっぱりで(名前はラヴィニア)かなり怖い性格設定になっていること。そしてオレステスの人物造形。神話ではオレステイアというぐらいなので、彼は主役である。アポロンの神託を受け、父親の仇を討つ。オニールの作品では「オリン」という名でどちらかというと内向的である(メルヴィルの処女作「タイピー」に影響を受け、「希望の島」がどうとかくちばしったりする)。当然のことながら彼には神託など降らない。娘を責める母の言葉も、母を責める姉の言葉も等価である。それゆえに彼は安定しない。
このオリンとオレステスの差異が第三部のポイントとなる。
今までオレステイアをトレースしてきたのが、この三部で大幅な転換を見せる。
オレステイアの「エウメニデス」では復讐の女神に追われるオレステスアポロンの助言に従い、女神アテネに助けを求める。アテネは自らを裁判長とし、両者の意見を聞く。陪審の投票では表は半分に割れるが、アテネオレステスを支持したため、彼は復讐の女神たちから逃れることができた。いわば神による赦しが描かれる。
一方「エレクトラ」の「Haunted」:憑かれたるものではその名が示す通りオリンもラヴィニアも自らの「母殺し」という行いから逃れられない。復讐の女神に責められるわけではない。だれも彼等を疑ってはいない。しかし自分たちの行いは自分たちが十分に承知している。彼らはともにそこから進めない。神話のように神託という大義名分(ある意味では責任転嫁の対象)があるわけではない、そしてそれゆえ神による許しなども信じられない(ラヴィニア自身の言葉で否定される)。袋小路である。
一度逃げるように未開の島へと旅にでるが、結局自分たちの家へと戻ってきてしまう(この楽園のような島というのも微妙に作品から浮いてて気にかかる。この時期何か発見とかってあったけ?)。
しかもラヴィニアは母に、オリンは父に容姿が似てきているという定番のおまけつきである。
このあたり、心理学の型に当て嵌め過ぎている感が否めないが、その分わかりやすくはある。
ラストに向けて、姉弟間、恋人間で交わされる会話はなかなか迫力がある。
決意の独白とともに舞台から去るラヴィニアの姿から私は京極夏彦「絡新婦の理」のラストを思い出した。家に捉われた岩長姫のすえ。主題的にはそう見当外れでもないか。
せめて新訳でもでれば少しは読まれるだろうに・・・。光文社とか出してくれないかね。