シンクレア・ルイス「本町通り」

シンクレア・ルイスの代表作にして、邦訳で入手可能なものの中では一番容易に手に入るであろう一作。
原題はMain Streetで、文学史や文化史の本によってはそのまま「メインストリート」と紹介しているものもある。
アメリカ文学史/文化史的に言うと、ルイスは何よりも「アメリカ初のノーベル文学賞受賞者」として記憶される。
まあ、日本における知名度ではアメリカの同賞受賞者の中ではベローと並んで無いに等しいが。
この作品は1920年に出版され、ベストセラーとなる。次作の「バビット」(英和辞典などにもBabbittでひくと、「物質的成功のことしか頭にない俗物」とでてくる。もちろん由来はルイスのこの作品。所謂流行語的なポジションだったのだろう)と合せて当時のアメリカ社会に巻き起こした反響は結構なものだったらしい。
その反響については1920年代アメリカ社会史の傑作「オンリー・イエスタデイ」で随所で言及されている。
ストーリーは単純。高等教育を受け、社会改革に燃える女性キャロルが結婚を機会に移り住んだ夫の実家、ゴーファー・プレイリーで直面する田舎の現実を描いている。
この村をより良くしたいと様々なことを計画するキャロルだが、村の人々とうまくいかず悉く失敗する。
基本はその繰り返し。正直途中で飽きる。
作者自身が付した序文によると、1900年代に理想化されていた田舎の生活というものが実際は言われているほどいいモンじゃねえんだよというのを暴きたかったということらしい。
文学史的には19世紀末くらいから「地方色」(Local Colour)文学といわれるものが登場する。これは地方の風俗や方言を使用するといったリアリズム的側面を持ちつつも、主題的にはロマン主義的(それこそ自然賛美のような)だったといわれる(私は未読)。
こういった風潮に対するアンチテーゼをもくろんだのだろう。そういう意味ではフォークナーやスタインベック(共にノーベル賞作家)などの先駆といってよいだろう。
オンリー・イエスタデイからこの作品の評価に関する部分を引こう。

 ルイスはアメリカの田舎町の醜悪さ、その生活の文化的貧困、偏見に満ちた群衆の横暴さ、それらを後押しする連中の俗悪のはなはだしさと偏狭さを明らかにした。彼が提示しなかった他の事柄―ゴーファー・プレーリーとゼニスなどアメリカ中西部特有の人なつこい気質とやさしい寛大さ―もあったが、彼の小説はその一面性のために、かえって広範囲によまれたといえる。

一面的という評価はかなり当たっている。一応、村の人たちの素朴な気質などは全く触れられないわけではないが相対的に見て、粗野さや排他性(とそれに関する一種の陰湿さ)などのほうが全面に出ている。
また、村やそこの人々が批判的に描かれているが、それに対して都会や、キャロルが肯定されているかというと全くもってそんなことはない。
都会は都会で問題をかかえているし、キャロルに関していうならばそもそも「私がこの田舎をもっとソフィスティケートさせてあげる」みたいなことを考える人間は大抵独善的でうざい(善意そのものは否定されてないけど、実際問題そういう人のほうが無自覚な分、始末が悪い)。
ブルーハーツ的にいうと、天国じゃないんだ、かといって地獄でもない。良い奴ばかりじゃないけど、悪い奴ばかりでもないといった所で、当たり前といえば当たり前なのだが、この作品はその当たり前なことを、一つのものを多面的に見るのではなく、あらゆるものを単純に否定することで描いている。その分風刺が利いているし、解りやすい。その解りやすさはある種の普遍性を持っているかもしれないが、同時にこの作品の限界でもある。
同時期(先年の1919年)に出た同傾向の作品としてアンダーソンの「ワインズバーグ、オハイオ」があるので読み比べてみても面白い。
こちらは片田舎の抑圧された生活を描いている連作短編で、個人的にはそちらのほうが圧倒的に好みである。