ベンヤミン「パサージュ論」

蔵書整理で発掘したパサージュ論をボードレール周りの部分だけ見直す。

「彼は、告解のような穏やかな調子で自分を語り、霊感を受けたふりをしなかった最初の人である。初めて彼が、パリを(<売春>の風に揺れて街路に点るガス灯、レストランとその換気口、病院、賭博、鋸挽きした木が薪となって中庭の敷石に落ちて響く音、それに炉辺、それに猫たち、ベッド、ストッキング、飲んだくれ、近代的製法の香水を)、首都のありふれた棄民の立場から語ったのだが、それも高貴に、距離をおいて、完璧にそうしたのである。……勝ち誇るのではなく、自分の罪を認め、自分の傷口を、自分の怠惰を、勤勉で献身的なこの世紀の只中での自らの倦怠に満ちた無用性を描き出した最初の人である。フランス文学に、快楽の中での倦怠と、陰気な臥所というそのための奇妙な舞台装置を持ち込み……それを楽しんだ最初の人である。……<美顔料>と、それを空にまで夕日にまで拡大したこと……憂鬱と病気(詩的な<肺結核>ではなく、神経症)、しかも神経症という語は一度も書かなかった。」ラフォルグ『遺稿集』パリ、一九〇三年、111−112ページ[J10a,1]

現代性が最終的に古代ともっとも類似していることが明らかになる点は、そのはかなさにある。『悪の華』が今日まで変わることなく共感を得ているのは、大都市が初めて詩に登場したときに大都市が見せたある特定の側面と関連している。この側面はもっとも予想しがたいものである。ボードレールが詩句の中でパリを喚起するときに彼の中で共振しているものは、大都市というものの持つ脆さと壊れやすさなのである。そうした脆さと壊れやすさがもっとも完全に描かれているのは、おそらく「朝の薄明」[『悪の華』の「パリ風景」中の詩篇]であろう。「朝の薄明」は都市を題材にして模写された、目覚めゆく者の啜り泣きである。しかし、こうした側面は多かれ少なかれ「パリ風景」の詩すべてに共通している。この側面は、たとえば「太陽」[「パリ風景」中の詩篇]が喚起するような都市の透明性のうちにも、「白鳥」[同]におけるルーヴル宮殿アレゴリー的喚起のうちにも姿を現す。[J57a,4]

死後硬直に陥っている世界に進歩を語る―そんなことをして何になろう。ボードレールは死後硬直し始めている世界の経験が、ポーによって比類ない力強さで記録されているのを発見した。ポーは、この世界を描いたことによって、ボードレールによってかけがえのないものになったのである。この世界でこそ、ボードレールの創作活動と努力は正当性を得たからである。[J58,6]

エリオットも講演の中で、ボードレールから受けた衝撃として、自分の身の回りにあったとても「詩的」とはいえない題材で持って都市を詩って見せた点を挙げていた。