アップダイク「走れウサギ」

実家で本を整理していたら、ジョン・アップダイクの「走れ、ウサギ」を発掘。
10数年ぶりに読んでみる。
最初にこの本を読んだ時の私とウサギの年齢差と、今の私とウサギの年齢差が奇しくも同じ。
「ウサギ」という名は作中ではその白さから付けられたあだ名だが、彼の行動から考えるとウサギの多産さ、転じて性欲の強さを連想させる。
多産→豊穣という連想でいけば何かありがたそうだが(実際ウサギの足は幸運のお守りだし)、現代の子殺しなんか見ても分かるとおり、人間に関してはそうもいかない。
能力も責任感も足りない人間が子種大量にばらまいてもろくなことにならない。
しかも「路上」のディーンなどと違い、ウサギは一応一つ所にとどまっている。面倒が起こるのは目に見えているのである。
(社会全体にかける迷惑度合いからいったら前者のが大きいだろうけど)
最初に読んだ時はこういったところが感情移入できなかった原因なのだが、これは今でも変わらなかった。
ただ、バスケットボールの花形選手だったころを忘れられない点や女に手が早い点など、そっくりなのが会社の元同僚にいて複雑な気分にはなった。
(自分とは完全異質で理解不能な点が逆に面白かったんだよなあ、そいつは)
しかし久しぶりに読んで、以前気にならなかったところや記憶違いなどを発見し、その点では興味深かった。
まず全体の雰囲気として、記憶では風俗小説的なところが多かった気がしていたのだが、そういうところはほとんどない。
映画などが出てくる程度。時代的なものとしても戦争の話がちょっと出てくる程度(WW?ね)。
ストーリーとしては妻ジャニスにかかわる悲劇と、愛人ルースに起こる事件が完全にごちゃ混ぜになって記憶していた。
どちらも話の肝なのに・・・。自分の記憶のいい加減さにちょっとショックだった。
またジャニスやルースといった女性陣(牧師の奥さんもかな)の描写も思ったよりしっかりされていた。多分これは初読の際にはついつい主人公の描写にばかり目が行く癖があるのでそれが大きいのだろうけど。
自分の足で走っていける範囲でしか、逃げられない。逃げた先に何があるでもない。だから家や血に縛られているわけでもないのに、はじめの所に戻ってしまう。
リアルといえばリアル。この作品単体で見るとアメリカ文学によくいる駄目人間の系譜にしっかりとのっかっている。
んで、ウサギシリーズは最終的には4部作となり、これは1作目。続きがあるわけですが、それは未読。
全作詰め込んで2万円というとんでもないものまであるのだが、どうしようかねえ。