渡辺温「アンドロギュノスの裔」

 1930年に27歳の若さで事故死した渡辺温の作品集(氏は新青年の編集者でもあり、谷崎への原稿催促の帰路、事故にあう)。
 この作品集は1970年に刊行された単独では初の作品集。小説、シナリオの他、谷崎、実兄の渡辺啓助、友人で同僚でもある水谷準横溝正史の追悼文が収録されている。
 なお、創元推理文庫から同タイトルで2011年に出ているが、それとは別のもの。
(内容は比較してないので不明だが、後者には追悼文関係は入っていないのではと思われる)
 乱歩は「探偵小説40年」で渡辺温について「温君の思い出は、横溝君か水谷君に聞くべきであろう。われわれのあいだでは、両君が故人と最も深く交わりを結んでいたからである」と語っている。
 その横溝による追悼文である「惜春賦」だが、この文章だけ以前どこかで読んだ覚えがある。おそらく彼の随筆類を集めた選集ではないかと思う。
 その中の「いまにして思えば温ちゃんの死は同時に私の青春の終焉を意味していた」、「だからこうして温ちゃんのことを偲ぶということは、とりもなおさず、過ぎ去ったじぶんの青春の日を追憶するのも同じことである」という一節が深く印象に残っていた。
なお、横溝は1976年の都筑道夫との対談で、乱歩が自分によく構想中の作品の筋を話してくれたのは、そうすることで話の骨格を固めていたのではないかと語り、

 都筑:先生の場合はそういうことはあまりなかったのですか
 横溝:若い時は渡辺温さんに話してましたが、それ以後はないですね。

というやり取りをしている。