「女ドラキュラ - Dracula's Daughter」

寒いので外にでないでDVD。
 一応「魔人ドラキュラ」の続編ということで、前作のラストシーンから始まる。導入の部分は結構悪くない。伯爵邸を訪れた警官によってレンフィールドの死体と伯爵の死体(原作では灰にならなかったっけ?)が発見される。当然のごとくそこにいたヘルシング教授は事情聴取。しかも素直に伯爵に杭をうったことを告白。
 理由:彼が吸血鬼だから。
 これまた当然のごとく精神を疑われる。
 このあたり結構うまいと思う。原作は外国人に対するヒステリーによって単なる異邦人であった伯爵をハーカーやヘルシングが吸血鬼として殺害したという見方も不可能ではなく、そうだとしたらこんな感じの展開が次に待っていたかもしれない(ただ原作では伯爵はトランシルバニアの自分の城で死亡するので直ちに警官が駆けつけるといった状況はこないだろうけど)。
 なお、伯爵邸にかけつけた2人の警官たちの会話ってエド・ウッドがプラン9で使ってたような気がするのだが。もっと言うとドラキュラの娘ザレスカ伯爵夫人は「妖怪人間べム」のベラの人間形態にそっくりだったりする。まあ偶然かもしれんけど。
 さて逮捕された教授と収容された伯爵の死体。教授は自分を助けてくれるよう弟子のガース博士(精神科医)を呼び寄せる。一方伯爵の死体のほうは娘のザレスカが盗みだし火葬に処す(この映画一番の名シーン)。そのときの従者との会話から彼女が吸血鬼というみずからの業を呪い、そこから開放されることを願っていることがわかる。今となればありがちな設定だが、これはこれで有りだと思う。
 その後あるパーティでガースとザレスカは出会う。そしてザレスカはガースを自分の呪われた運命を開放してくれる相手と見込み彼に接近することになる。
 ここである疑問が生じる。教授にしろザレスカにしろなんで一精神科医であるガースをそんなに頼るのかと。特に教授。自分が助かる方法は吸血鬼の存在を証明するか狂人として責任能力なしとされるかの2択。そこで弟子の精神科医を呼ぶとなれば当然自分を狂人と診断してくれと頼むと思うのが自然。ところが教授は彼に「私が正常だと診断してくれ」と頼む。ガースは「死刑になりますよ」と当然のごとく答える。当たり前である。これに対する教授の返答「君は私を見捨てるのか」。???である。
 一方のザレスカ。彼女がガースに注目したのは彼が精神の力について語ったからだが、吸血衝動は意思の力で押さえ込めるかもしれないが十字架や日光はだめだろうし、故郷の土に詰まった棺も手放すことは出来ないだろう。いったい何を期待してたのだろう。まあラストのあたりを見ると単に彼に好意を抱いたというのが本当のところかもしれないが。
 ちなみにガースはザレスカに「アル中に酒を見せて我慢させるように」して意思の力をテストすることを進める(ザレスカは自らを襲うある衝動が吸血衝動であることは黙っている)。結果はこれまた当然のごとく、我慢できなかった。好意からでた忠告なのにね。まあ良くある事さね。その犠牲となる街の女とザレスカの間のやりとりは同性愛的な雰囲気を強くかもしだしている。時代を考えると当時は結構刺激的な表現だったんじゃないだろうか。
 この作品本当に前半は悪くない。ただ中盤あたりからあれっと。70分程度なのでだれることこそないのだが。なんというか薄い。おしいんだよな、なんか。