内田百輭「百鬼園戦後日記」

終戦直後から昭和22年までの日記。主な内容は酒。今日は何飲んだとか何日飲んでないとかが書いてある。食事については書いてない日のほうが多いのに、酒についてはこまかく書いてある。流石というか何と言うか変なものは飲んでいない。例外としては20年10月2日の

夕早めに帰り船舶運営会に寄りて栗村より武道酒と称するインチキ葡萄酒を請取って帰る。

さて味はというと

帰りて武道酒を試みるに不味なる事名状す可からず。しかし結局飲まぬよりはいいから飲んだ。

だそうだ(P31)。
次に多いのが仕事を断る話。かなり断っている。知り合いのためにもなりそうな仕事はいくつか引き受けてはいるが。漱石全集の責任監修を頼まれたときは

夏目家の為とあらば何事もことわる筋なし

と引き受けている(P154)。漱石物語への文章も同様。
時期が時期だけに訃報もある。谷中風船画伯などは健在の時の様子、仕事を頼もうかと思案している時、そして死去の知らせを受けた時の様子が書かれている(確か餓死だったと記憶しているがそのことは触れていなかった)。
凄いなと思ったのは21年3月に原稿料を受け取りに郵便局に行ったときの話し。手続きの問題はないのだが、肝心の現金が郵便局に無いという。今からは想像もつかない。