パトリック・マグラア「スパイダー」

河出が奇想コレクションとしてマグラアの短編全集を出した。とても読みたいのだが、チケット馬鹿買いの後遺症がでかくて・・・。神保町で実物を手に取ったまましばし佇んでしまった。
んで、自分の読書メモ見てたら2002年に書いたマグラアのスパイダーの感想が出てきた。当時も金がどうこう言っている。おそらく私はずっとこんな感じで行くのだろう。
懐かしいのでアップしてみる。
(↓2002/12/5メモ)
パトリック・マグラアの「スパイダー」。一応ハードカバーで出たときからなんとなく気にはなっていたのだが、定価で買うのは高いなあと。古本屋なんかで見たら買おう程度に考えていたのだが、一向に出くわさない。気がついたら文庫になっていた。
作者は家が精神病院で、その作風はポーの影響を強く感じさせると聞いていたので、現実と妄想の区別のつかない自分内引きこもりが出てこなきゃ嘘だな、などと思っていたら語り手が本当にそんなタイプだった。
あらすじを簡単にまとめると、十数年ぶりに故郷に戻ってきた語り手(スパイダーとは彼のあだ名のようなもの)が過去を回想する話。彼の父は愛人と共謀して母を殺し、彼にも冷たくあたる。我慢しきれなくなった彼は…というのがその回想の内容なのだが、語っていくうちに彼自身、現在と過去、事実と妄想の境目が揺らいでいく。それで実際に何が起こったのかというのがラストに行くにつれ段々明かされていくという構成。
で、ページ開いたら、本文の前にシェリーの「オジマンディアス」の一節をエピグラフとして引用している。なるほどね。タイトルが「スパイダー」であることも考え合わせて見ると、この時点で早くもネタ晴らしをかましてくれているというわけね。親切といえば親切だ。
解説ではエピグラフについてはなんにも触れていないのでちょっと蛇足をば。「オジマンディアス」とは英ロマン派詩人の代表格の一人P.B.シェリーの初期の代表作。詩の形式はソネット。オジマンディアスというのはモーゼが出エジプトを決行したときのファラオの名前。映画「十戒」でユル・ブリンナーが演った奴だと思う。あれはかっこよかった。まあそれはいいとして、つまりは古代の絶対君主を指していると考えればいい。
んで詩の内容はというと、詩人が古の国(エジプトね)を通ってきた旅人に話を聞いているところから始まる。旅人曰く砂漠の中に(足と思われる)でっかい柱と、半分埋もれた顔があった。でその顔が傲慢そうでやな感じであると(つまりそれがわかるくらい作者である名もなき彫刻家の腕がすごいのね)。そしてその近くにあった台座の残骸に次のような言葉が刻み付けてあった。

 My name is Ozymandias, King of Kings, Look on my Work, ye Mighty and despair !

 しかし「Look」言われてもその周りには壊れかけの柱と巨像の顔以外は荒涼とした砂漠があるだけだった。
 英文で引いてきたところがエピグラフとして引かれている部分。邦訳でどうなっているか後半部分のみを見てみると、
スパイダーの序文では

「全能なるものよ、我が成し遂げしものを見て、絶望せよ」。

ちなみに新潮文庫シェリー詩集ではMightyが全能の神となっている。mが大文字だからまあ普通そう考えるわな。俺もそうだった。参考までにそのときの俺と先生の会話。
先生:「神なのね?」
俺:「はい。」
先生:「具体的には?」
俺:「えっと…」
先生:「エジプトは一神教多神教?」
俺:「多神教です。」
先生:「そうね。で、ファラオというのは?」
俺:「主神ラーの化身です。」
先生:「そうよね、なら自分以上に全能な神はいないんじゃない?」
俺:「じゃあ、ユダヤ教とか?」
先生:「異教の神を全能って形容するかしら。」
俺:「…」
OED引いたら諸侯という意味がありました。駄目学生で申し訳なかったなあ。
この詩は一見地上の権力のはかなさ、無意味さをうたっているように見える。まあそれは確かにありそうだ。以前は宮殿やら彫刻やらがあった所も今となっちゃ廃墟しか残ってないんだし。
だが同時に、芸術作品のもつ力を称えているようでもある。我々に見えるのは王の力ではなく、その(壊れてはいるが)彫像を彫った彫刻家の優れた腕前なのだ。my Work の意味合いはそれを刻ませた王が意図していたであろう「王の権力」から「芸術家の作品」に変化しているわけだ。
そしてそんな芸術の恒久性を、宝石にもたとえられるソネットの形式を用いて描いて見せたシェリーの意図は明らかだろう。
では、それをあえて自分の作品の前においたこの小説は?
スパイダーときいてイメージするものは何?個人的にはまずコレクターとしてのイメージ。実際作品内でも語り手たるスパイダー君は虫(というかハエ) を集めている(レンフィールドみたいに)。そして(この本の解説でもちょっと触れているが)糸でもって見事な巣を作るイメージ。ギリシア神話ではアテナと機織の腕を競ったアルケニーは、その傲慢さゆえにアテナによって蜘蛛に変えられた。
蜘蛛は織物をつむぐ。文芸批評では対象となる作品をテクストと呼ぶ。テクストの由来はテクスチャー、即ち織物からきている。そう。蜘蛛はテクストを織紡ぐのだ。スパイダーは物語を作り出す。美しく。
語り手自身自らが何度も何度も’物語’(説明とよんではいるが) を組み立てることで立ち直ったことを明言している(文庫p195)。この小説は我々に、これから語られる物語が構築されたものであることを始まる前から提示してくれる。それが優れた構築物であることも同時にほのめかしながら。
個人的にはスパイダーの語る話の(作中世界における)真偽にはあまり関心はない。ぶっちゃけた話、取り立てて予想外な展開を見せるわけでもない。ただ、彼の回想における子供時代の話、父や母、酒場に集まる人々の描写など、作中に絶えず降り続く雨が象徴するような薄暗い世界はそれが虚構と記憶の入り混じったものであれなんであれ、非常に魅力的にうつるのだ。