中村雅楽探偵全集附録より「推理小説について」

乱歩、戸板康二主婦の友の編集者花森安治による対談。創元社関係の人物(編集者だろうけど)も「本社」という形で進行役を務める。
推理小説の装丁が際どいというか、俗っぽすぎることに関して

例えば推理小説よりも内容の低い愚劣なエロものでも、フランス文学とか何とかいうことになると、翻訳者が一応立派な外国文学者だということで本棚に飾っておく、ずいぶんひどいものですよ。ところが推理小説はなかなか良いものが、日本でも外国でもありながら、装幀がまるで招魂祭の見世物みたいな雰囲気のものが多い。

これは英米、露などでなく、「フランス文学」だから首肯できるとかいうと偏見だろうか。
50年たっても人間対して変わらないという一例

本社 一時推理小説なんか家庭で読むと悪い影響があるとか何とかいった説が出ましたが……。
花森 あれ新聞がいけないんだ。少年が事件を起こすと、すぐ探偵小説に読み耽ったためとか……。
江戸川 僕なんか何回も槍玉に上って……(笑)。刑事がその家に行ってみると、僕の本が本箱に二冊あった、お前この本読んで影響うけたんだろうといわれると、そうです、ってなこといっちゃうんだな。内容なんか全然知らないのに、そうだといっちゃう。ところが逆に、探偵小説の夢は、そういう悪心の安全弁になっているんです。悪心が発散されちゃうということね、そういう害悪をこの本は発散させちゃう。

やったことを他に責任転嫁しようとするガキはいつの世にもいるし、何か解りやすい理由をつけて安心したい/不安をあおりたいという心理も同様か。なすり付けられる対象は様変わりしてるけど、やってる方は今も当時も「新聞」なんですね。そして面白いことにそういった風潮に対する弁護の論法も対して変わっていない。
そんな乱歩も今年ついに岩波文庫入り。本人聞いたら何とおっしゃるやら。