再読:ケルアック「地下街の人びと」

学生時代、ケルアックの「路上」にはまったことがある。当時ですらステレオタイプというか、有り勝ちというには時代遅れめいていたような気はする。まあ、大きな書店ではビートコーナーなどがあったので、需要は少なからずあったのだろう。
翻訳はweedを雑草と訳していたのを読んで、ダメだと判断(今の新訳はしらん)し原書で読んだ。小説に限っていえば、あれだけ原書読み込んだのはほかにない。
この「地下街の人びと」は「路上」に続く長編。subterraneanという単語はDylanの歌のほうで知ってはいたが(最近だとradioheadにもあるな)、正直どんな意味かよくわからなかった。
タイトルは地下街の人びとだが、基本的に書かれているのは語り手のレオによる自分語り。しかも微妙にいいわけめいている。そういう意味では「地下室の手記」に似ているかもしれない。
語りがリアルタイムでなく、回想形式のため、初読ではよくわからない個所があることや、妙に内省的というか動きがなく、最初読んだ時はなんだこりゃ?と思った記憶がある。
まあ、「路上」にしてもサル・パラダイスは内省的で自分ではそう大きく動くわけではないから共通点はあるっちゃあるが。
今読むとその語りの女々しさが微妙に切なく感じてしまう。年のせいだろうか。