都筑道夫「推理作家の出来るまで」上巻より

著者の半生記。上巻は幼少期から編集者を経て作家としてデビューしていくまでを描く。

私の記憶にある昭和十一年二月二十六日は、物音のしない一日であった。雪がともっていて、物音が吸いとられるせいだったろう。戸外にはなにもないような感じで、家のなかも薄暗かった。
両親や祖母も、あまり喋らなかった。雪のふりつもったところが見たくて、私が外へ出ようとすると、父親に叱られた。その口調で、なにか大変なことが起こったらしいのは、私にもわかった。父親に聞いても、なにも説明してくれなかったらしい。それとも、私が聞かなかったのか、とにかく、ひっそりとした家のなかから、外の雪景色を眺めていた。
子どもごころにも、異様に緊張した一日だった。それが、二・二六事件の日だという認識を持ったのが、いつだったかはおぼえていない。ただ二・二六事件といわれると、私はあの物音のたえた雪の午後を思い出す。おとなたちは、電灯をつけるのさえも、はばかっていたのだろうか。
昭和十一年は事件の多かった年で、五月には阿部定の男根きりとり殺人事件が起こっている。私は小学校の一年生になったばかりで、急速に文字をおぼえて、本や新聞を読むようになっていたが、阿部定事件の記憶はほとんどない。おとなの話をわきで聞いていて、そういう事件があったことを、漠然と知ってはいた。
それと、この事件は子どもの遊びに影響をおよぼしていて、女の子のスカートや着物の裾をまくるいたずらが、男の子まで波及した。それまでは、まくられる被害者は女の子だけだったのが、着物をきている男の子にまで、
「お定のきんたま取り」
と、叫んで、いじめっ子の手がのびるようになったのである。