バフチン「ラブレーにおけるグロテスクな身体像とその源泉」より

バフチンラブレー論中より抜粋。
これほど壮大な規模で糞尿を論じた文章を私は他に知らない。

尿は(糞と同様に)陽気な物質であって、恐怖を格下げすると同時に、恐怖感を和らげて笑いに変えてしまう物質だということを忘れないでおこう。糞がいわば身体と大地の中間に位置するものだとすれば、(これは大地と身体をつなぐ笑いの環である)、尿は身体と海の中間に位置している。それゆえ、塩辛い海水という元素を具現する神聖劇の悪魔パンタグリュエルは、ラブレーにあっては、ある程度、尿という陽気な要素を具現するものになる(彼の尿には、のちに見るように特殊な薬効もある)。糞と尿は物質、世界、宇宙の四元素を身体化し、それらを親密で身近なもの、身をもって理解できるものにする(これは身体自体が生みだし、排泄する物質であり、要素であるからだ)。尿と糞は、宇宙的なものへの恐怖をカーニヴァル風の陽気な怪物に変える。

ここだけ切り抜いてくると結構電波だな。