F・L・アレン「シンス・イエスタデイ」より2

第10章では30年代の文学や映画などの娯楽について概観を述べている。

しかし、毎年のベストセラー本の一覧表を調べてみると、いわゆる社会派ドキュメントを読みたがる人々は、きわめて限られた数しかいないことを示しているようにみえる。定価の高い書きおろしの本で、二、三十万の読者の気を惹くためには、もっと違った刺戟をひき出すような本が成功している。
たとえば、不況と心配事だらけの今、この場から逃避したいという欲求がある。一九三一、三二年に小説部門のベストセラーになったパール・バックの「大地」は読者を中国の地へ誘ったために感動を与えたのではあるまいか。一九三二年のベストセラーに、チャールズ・モルガンの「泉」が登場したのは、自分のまわりにひろがる醜い現実環境から内面の思考の世界へと逃避した男の物語だということによるものではなかったろうか。ウィラ・キャザーの「巌上の影」(一九三一年)が成功し、ハーヴェイ・アレンの「アンソニー・アドヴァース」(一九三三、三四年に断然一位を占めた)がさらに成功し、マーガレット・ミッチェルの「風と共に去りぬ」(一九三六、三七年に圧倒的支持を得た)が最高の成功を博したのは−スターク・ヤングの「かくも赤き薔薇」(一九三四年)、ケニス・ロバーツの「北西の道」(一九三七年)その他の本は言うに及ばずだが−たしかにこれらの作品が読者を歴史のなかへと逃避させたことが大きな理由であろう。当時、出版によって儲けるための最大の秘訣は、時代物の衣装をつけた八百ページの物語を企画することだった。
実際、「怒りの葡萄」はもう二,三年早く世に出ていたら、一九三九に得たような一大人気は獲得できなかったかもしれない。多くの読者がその内容を辛いと感じ、なにか不穏なものを感じとったはずだ。一九三九年ごろには、人びとはもう失業には馴れっこになっていた−満足さえしていた−だが新しい悩みの種を抱えていた。それは”ヒトラーと戦争の脅威”から目をそらすことができるかどうかということだ。人びとはすでに、スタインベックが調合した薬を、たじろがずに服み下すことができるようになっていた。

ディズニーアニメ映画の流行もこの流れの一環で語られている。
ここで注目されているのは主流カルチャーであるが、パルプ・マガジンなどでも、架空の大陸を舞台にしたエキゾチックな作品を作ったC・A・スミスやヒロイックファンタジーの元祖ハワードの「コナン・ザ・バーバリアン」の活躍時期がこのころであることをあわせると興味深い。
もっとも、彼らに先行者たるラブクラフトが(華やかりし)20年代から活躍していることを考えると、社会が明るかろうが、暗かろうが、どんな時代だろうが、MISFITSな人間にはそんなことは関係なく、行き着く先はいつも空想の世界であるということなのかもしれない。