セオドア・ドライサー「アメリカの悲劇」

1925年に出版され、自らの夢と欲望をかなえるため、犯罪的行為に手を染め破滅していく若者を描いた小説は?と聞かれたら、10人中7人くらいは「偉大なるギャツビー」と答えるのではないだろうか。
(入手も容易な本だしね)
無論それは正しい答えである。間違っていない。
ただ、同じようなテーマを扱った大作が奇遇にも同年にもう一作でているのである。
それがドライサー「アメリカの悲劇」である。
1920年代というと、ヘミングウェイフィッツジェラルド、フォークナーといった新しい世代の活躍する時代であるが、ドライサーは彼らと違いれっきとしたベテラン作家である(ちなみに米自然主義の代表的作家)。この作品の執筆時期には50代に突入している。
そういう意味では古い世代の作家である彼のスタイルは基本的にはオーソドックスな三人称語りである。構成的には実事件に取材し裁判シーンなどを導入するなど新しい試みをしてはいるが、文体的には王道のため、翻訳文になれてしまえば結構読みやすい。
この点、同テーマを扱った「ギャツビー」などと読み比べてみると面白いかもしれない。
ちなみにどちらの作品も破滅のきっかけになるのは犯罪ないしは非道徳行為である(密造酒や殺人)。アメリカンドリームの破綻を描いているとはいえ、「真面目に努力する」主人公というアルジャー的主人公像は否定されているわけではない。最も、そんな主人公像そのものがリアリティを失っているというだけの話なのだろうが。
ちなみにアルジャー的オプティミズムはこの数年後、ウエストの「Cool Million」によって徹底的にこけにされる。大志を抱いた少年が、老人を助けようとした結果、泥棒扱いされ、それでもめげずに頑張っていくのだが全くうまくいかず、金銭的にだけでなく肉体的にも搾取される。その悲劇的な死でさえファシストの宣伝材料として利用される。かなり面白い中編だと思うのだが、どこか翻訳しないんだろうか?
アメリカの悲劇」は3部構成となっている。
この三部を大まかにまとめると日常→犯罪→裁判という流れになるが、これは後年、ライトの「Native Son」にそのまま取り入れられている(これもかなり面白いのだが、長いこと絶版)。判決がおりたあとの宗教家との対話などを比較してみると面白いかもしれない。
第一部はクライドの生い立ちがメインに語られる。
クライドは貧しい伝道師の子として生まれ、両親の手伝いをしながら育つ。生活はというと、神様のお恵みやお導きを説く両親を見て、

彼らはいつも、それこそ神のありがたい恵みでも受けなければ生きて行けないような状態にあるのに、神さまは一行にこれという道を示してはくれなかった。

という感想を抱くような困窮状態にある。親の手伝いの布教活動にしても

まだ意味ものみこめぬ子供に、むつかしい成年向きの宗教的な勤めを強いるなんて、ずいぶんかわいそうな、でたらめなことをするものだと、心あるものは誰しもそう感じたであろう。
実際、そうだったのだ。

というくらいだから嫌でたまらない。ちなみに彼以外の兄弟はというと、弟たちは小さくて自分たちのやっていることがわかっておらず、姉にいたっては他人の注目を集めるのが楽しいと感じている。疎外感を感じるなという方が無理かもしれない。
しかも会ったことはないが、親の言うことを聞く限りでは父親の兄は自分の父と違い実業家でかなりの金持ちであるらしい。そこで暮らす自分と同年代の従兄たちは当然良い暮らしをしているだろう。
どうしようもない自分の暮らしとありえたかもしれない安楽な暮らし、現状に対する不満はつのっていく。
そしてある時、姉が突然旅芸人と駆け落ちする。「旅芸人と駆け落ち」というとほぼ100%、捨てられることへの前振りのようなものだが、姉は相手を信じ家を捨てる。
この時の両親の反応や姉の行動を通して、信仰の無意味さを痛感したクライドは自分の今後について真剣に考え始める。悲しいかな、大前提として自分の親はあてにできない。まず先立つものを手に入れようと、彼はバイトに精を出す。一応親の許可を得るあたりは真面目である。
そこで彼は同年代の友人が出来、様々な娯楽、遊びを覚えていく。より良い職を求めて、転々として最終的にはホテルのボーイとなる。豪華な職場に見栄えのいい制服、おまけに給金もかなりのもの。世間的常識のない両親にとっては仕事のイメージがわかず、売店の売り子的な感覚でしかないため、注意をしてきたり、家に金を多く入れろなんてことは一切言って来ない。
お金はたまるし、本人の容姿に加え、目立つ職のためか異性にもてる。楽しくて仕方がない。宗教的教育を強く受けていただけに、当初は友人たちの話に嫌悪感のようなものを感じていたのだが、実際に体験してみると後は一直線である。
今までとは180度変わった生活を送っている中、唐突に母親から金銭の無心を受ける。しかもいきなり100ドル。一応給金の一部は家に入れている。そしてなにより性格を考えると何の理由もなくこどもに結構な金額を要求するような人ではない。困惑しつつも、雇い主への前借りなどを行いなんとか、お金をつくり母親へ渡す。
ある日、ひょんなことから母親の無心の理由を彼は知る。町を歩いていると、出奔した姉そっくりな人物を見つける。母親に伝えてると知らないといいつつも激しく怪しい。おまけに姉そっくりの人物の住んでいると思しい所に母親が出入りしているのを知り、思い切って自分も訪ねて行くことにする。そこにいたのはやはり本物の姉であった。姉は駆け落ち相手に捨てられ、妊娠していた。王道通りの展開である。母親は彼女の当面の生活費などの費用をクライドに頼んだのである。
姉の話を聞き、彼女に同情するものの、姉にも問題がなかったとは言い切れないのでは?という思いにかられる。なにより自分に直接的に迷惑がかかっているのである。そしてその後も母親からの金銭的な頼みは続く。それだけならまだしもガールフレンドからもいろいろねだられる。
倫理的に考えるなら家族のために尽くすのが正解だろうが、周りの友人たちと比較した時の自分のみじめな境遇。その原因は何なのか?何で自分だけ?と考えたとき、無力な父や勝手な姉より彼女(こちらも結構勝手な人間ではあるが)を選んだとして単純に責められようか?
家族の情と欲情の間にはさまれつつ過ごす日々はこれまた唐突な事件によって終わりを告げる。友人たちとドライブをしているとき、子供を引いてしまい、そこから逃げる途中に事故をおこしてしまう。運転をしていたのは友人ではあるが、同乗者として責任を問われるのは必須で、しかも友人たちの中には既に姿の見えないものもいる。今までよりもみじめな生活と刑罰。彼はその恐怖のなか一人逃げ出していく。
第二部は3年後、クライドが20歳になった時から開始される。彼は事故のあと、カンザスから出て、転々とし最後にはシカゴに着き、そこでクラブのボーイとして生計をたてていた。
その間、新聞で事故の記事を見、偽名で家族と連絡をとりつつ、自分の行いに対して悔恨の念を覚えていた。家族からの手紙でデンヴァーに移り住んだこと、下宿屋を営み生活が比較的安定していること、姉が男の子を出産したこと、そしてその子が自分に似ていることなどを知らされる。また伯父を頼ってみることを提案される。
伯父に手紙でも出してみようかと考えていると偶然、その伯父が客としてクラブに来ていることを知る。
ダメ元で会いに行き、働かせてくれるよう頼んでみると、クライドが以外なほど好意的に伯父はOKをくれる。クライドの知らないことではあったが、彼の父は惰弱さと口ばかり回る性格から親兄弟に嫌われ、兄2人が結構な額の遺産をもらったのに対し雀の涙ほどの金額しかもらえなかったという事情があり、伯父は良心の呵責を覚えていた。クライドは父親とちっとも似ていないことも幸いした。
とりあえず様子見ということで一番下の工場仕事から始めることになる。仕事自体は期待していたのとは違ったが、伯父の邸宅や生活レベルの高さには圧倒され、上流階級というものを知る。
ほどなくして伯父のはからいで女工の監督をまかされることになる。若い見栄えの良い男が若い女性たちの間で一人。当然のように、彼は女工の一人ロバータと深い中になる。
それなりに順調に進む中、彼は以前伯父のパーティで出会ったソンドラという令嬢と親しく話す機会を得る。見栄えと調子のよさでこちらも交際までかぎつける。上流階級の娘さんと親しくなったことで彼自身もその階級へと入っていけるのではないかという夢想(いわゆる逆玉)がクライドの頭に浮かぶ。
この時点でロバータと手をきるかというとそんなことなく、ほとんど体目当てという感じでずるずると二股を続けていく。獣欲に流される人間というのは自然主義的ではあるかもしれない。
そしてある日、思いつめたロバータから妊娠の事実をつけられる。
当然ロバータは結婚を要求してくる。クライドはその点はごまかしつつも、なんとか子供を中絶させる方法を考え始める。未婚の男女が周囲にばれずに行おうとすると手段は限られてくる。ロバータを説き伏せ、夫婦と偽って医者にいくも、医者から思いとどまるよう説得される。
打つ手なく、気分的に追い詰められるクライド(どう考えても自業自得であるが)。
心身ともにより大きな負担を受けるロバータも同様で、クライドを脅迫するようなことまで言い出す。
テンパリ具合が振り切ったクライドは最終手段を思いつく。誰にもばれずにロバータを殺してしまおうと。
計画は次の通り。偽名で2人でこっそり旅行に行く。そこでボートにのり、ロバータを殺害して池に沈める。事故を装うため、ボートは転覆させ、自分は泳いで岸まで行き、その後こっそり家に戻る。
これで「身元不明の男女が池で事故にあい、女性は死亡確認、男性は死体あがらず」という図式ができあがるはずである。
この計画はすんなりと進み、二人でボートに乗る所までこぎつけた。後は殺害を決行するのみだが、本来意志薄弱な青年である彼には出来ない。ふんぎりつかず悩むクライド。客観的に見てもおかしな感じである。当然ロバータは不審を抱く。困惑して取り乱す彼女をかっとして突き飛ばすクライド。彼女の悲鳴で、はっと我にかえりあやまろうと体を彼女のほうに伸ばした結果、ボート上のバランスが崩れ転覆。二人して水中に。なんとか溺れないよう水中で態勢を整え上がってきたクライドが目にしたのはなすすべなく沈んでいくロバータの姿であった。
第三部では場面はがらりと変わって、ボートの転覆事件の捜査過程が描かれていく。クライドは問題なしと思っていた計画だが、穴がぼろぼろ出て来る。複数個所で使った異なる偽名が微妙に似ていること、自分だけ荷物をつねに携帯していたこと、池に人が沢山出ているかなど他人の記憶に残る変な質問をしていること。極めつけはロバータがポケットに忍ばせていた親への手紙(転覆時の状況を考えると不可抗力であるが)。本格ミステリをよんでないのか?と言いたくなるくらいの雑っぷり。まあ、間違いなく読んでない。カーもクイーンもヴァン・ダインも25年時点(作中時間はおそらくもっと前)ではデビュー前だし。イギリスでかろうじてクリスティがデビューしているくらい(思考機械やアブナー伯父とかはあったけど)。
調査はどんどん進み、クライドはついに逮捕される。
その後、クライドの取り調べ、世論、選挙を見据えた政治的動き、弁護士などがいりみだれ裁判が進んでいく。
最終的にはクライドは死刑を宣告される。死刑囚として収攬される彼のもとに母親が訪れる。母親と彼女に頼まれた牧師との会話、独房でのクライドの思索が本作のクライマックスとなる。
ラストシーンは彼の刑死から数年後、グリフィス一家の現在を描写して幕を閉じる。
意志の弱い若者の自業自得といってしまってはそれまでなのだが、そんな話をここまで読ませる筆力はすごい。タイトルの意味や罪とは?人を裁くとは?信仰とは?など恐らく本作発表以降議論されてきた小難しい問題は置いといて、負の方向に傾きがちな人物描写やクライドの鬱屈した生活を見ているだけでも結構面白い。
社会倫理などは当時の風俗を知らないと主人公たちの苦悩の深刻具合が伝わってこないかもしれないが、それ以外は半世紀近く前の翻訳で読んでも古びていない。この点オーソドックスなスタイルの強みでもある。
「白鯨」や「ハックフィン」のような怪物級の傑作と比較してしまうと少々落ちるとはいえ、間違いなくアメリカ文学の傑作のひとつ。難点は古本じゃなければ手に入らないこと。最も結構頻繁に見るので入手難度はそう高くないとは思うが。
ドライサーの初期の代表作「シスター・キャリー」を10年ほど前に訳で出した岩波に期待・・・とかできないかねえ。