アプトン・シンクレア「ジャングル」

アメリカ古典大衆小説コレクションの一冊。重苦しさではこのシリーズ随一かもしれない。
オズやアルジャーやロマンス譚などとならんでいるとちょっと異色だが、法律制定までつながったこの影響力は確かに「大衆」小説。
文学史的にはシンクレアといえばマックレイカー。マックレイカーといえばシンクレア。
マックレイカーとは世の不正を暴き、それをペン(小説、ジャーナリズム)で持って正そうとしていた人たちとなる(理想的にはだけど)。
マックは肥料。馬糞とかです。レイカーはrake(熊手)に-erをつけたもの。熊手を使う人ですな。
単語的にはマックレイカーとは臭い肥料をかき回す人、ふたをされた臭い物をわざわざふた取って見せて回るようなことをするというわけ。
このコレクションの監修者の亀井氏だったと思うのだが、そのニュアンスを表すのに暴露屋という言葉を使っていた。辞書を引いても醜聞暴露者とのっている。
まあ、どう考えても好意的な命名ではない。ただこの命名者が時の大統領セオドア・ルーズベルトであった点は留意すべきだろう。つまりこの視点は少なくとも権力者の側からのものであると。
中には暴露至上に走った人間も実際には少なからずいたのかもしれないが、少なくともシンクレアのこの作品は社会改良と弱者への救済の視点をしっかり持っている。
ストーリーはリトアニア系移民の家族を中心に進んでいく。内容は日本でいうとプロレタリア文学に近いのではないだろうか。
言葉も十分に分からない状態でアメリカに来て、劣悪な住居環境、労働環境ゆえに次々と家族を失っていく。
ここらの悲惨な描写はこの作品の中核の一つ。
暴力事件で投獄され、妻と子供を同時に失ったことで途方にくれ、出奔。浮浪者生活を経て、犯罪行為に手を染め、裏社会でそれなりの立場と生活を確立する。
だがここでもとある事件をきっかけに地位を失い、再び浮浪者へ。絶望の中、偶然聞いた社会主義者の演説に感激し、意を決して彼に会いに行く。彼を介して社会主義者たちの知己を得、そのつてで仕事を見つけ、また自らの経験を振り返り彼らの意見に賛同し同志となっていく。
終盤までの底辺生活の徹底したリアリズム描写からラストはブルワーカーの広告的な胡散臭さに転じてしまうあたり、読んでいる方はハアという感じになってしまうかもしれない。
このあたり、作者の目指したものと作品としての完成度が微妙にぶつかっている気もしなくはない。
ただ、アルジャーでは立派な紳士がやっていた救済役を社会主義者に変えただけという点では或る程度立身出世譚のフォーマットに沿っているともいえる。
ちなみにこの作品の出版は1906年ロシア革命すら発生していない状況。また作中の社会主義者たちも基本的には革命を起こすぜ!というよりも、もっと穏健。
「民主主義国家アメリカ」の価値は疑っておらず、社会をより良く改善していこうとする人間として書かれている。
さきほど法律制定といったが、「ジャングル」の紹介に必ずのっているのが、この作品を契機として「Pure Food and Drug Act」が可決されたということである。
「ジャングル」の中では主人公一家が直面する苦難と一つとして缶詰工場における劣悪な労働環境がある。
そこでは結核になった人間が作業をするなど衛生状況が非常に悪い。またいわゆる偽装問題的なことも行われている。
これが非常なインパクトになったということである。
ただ、法律の名前が示すようにこれは「そんな環境で働かされている人がいるなんて!なんとかしなくちゃ」というよりは、「そんな環境で作られた物を(私たちは)食べてたなんて!なんとかしなくちゃ」という感じだろう。
実際解説にもシンクレアがこの点を述懐した言葉が載っている。
まあ、人間自分に関係ないことは鈍感になるもんだし、多分俺でもそうなる。
しかしこの作品、一応前向きな終わり方をしているが、これが最後主人公が社会主義者たちにまで利用されて捨てられました的な終わりだったらナサニエル・ウエストの「クール・ミリオン」の先駆になったのに。
100年前ではあるが、都市に住む底辺の人々の環境の悲惨さを描き出しているのは見事。それだけでも一読の価値あり。
余談だが、この主人公生活の十分な基盤もないのに、結婚、子作りなどをやっている(家の購入に関しては納得できる理由がある)。
以前同世代の人間がテレビの取材で、結婚を控えているのに派遣切りになったことを嘆いているのを見たときにも思ったのだが、不安定な生活なのに結婚、出産をしようという(したいというのではなく)のが理解できない。そこら辺は全く感情移入できなかったなあ。